これまでに何度か日光には行ったことがあるが、いずれも団体旅行でガイドさんの後について、寺ともお宮ともいえるような建物や有名な彫り物を見て回ったに過ぎず、あまり印象に残っていなかった。 今回は、インターネット上で日光について調べてみると、歴史や現状なども少し知ることが出来た。これまで漠然と断片的だった日光の知識を自分なりに整理して記録に残すことにした。
日光といえば狭義には日光東照宮、二荒山神社、輪王寺のある「日光山」を意味するが、広くは中禅寺湖の更に奥になる湯元温泉辺りも含めて日光と呼ばれることもある。
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【日光輪王寺の建物配置図】
この図から輪王寺に属する建物が1箇所にまとまっておらず、日光山内の各所に点在している様子が分かる。また、観光地日光の広さは東西30km足らずのうなぎの寝床のような細長い街であることが分かる。標高では入口で海抜約500m、市内を通りいろは坂を登り奥日光の湯元で約1,500mと標高差が約1,000mもある実に複雑な地形の街である。
【神橋】
聖地日光の表玄関を飾るにふさわしい朱塗に映える美しい神橋は、日光二荒山神社の建造物で国の重要文化財である。
日光市街との境界である大谷川に架かっており、神橋を渡ると市街から日光山内に入る。
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【日光山総本堂(輪王寺)】
日光山内には日光東照宮、日光二荒山神社、日光輪王寺(三つを総称して「二社一寺」と呼ぶ)などの国宝や重要文化財の建造物がある。
歴史的には徳川家康を「神」として祀る東照宮が一番新しいのだが最も華々しく有名である。これに対して二荒山神社と輪王寺は奈良時代に山岳信仰の社寺として創建されたもので、東照宮よりはるかに長い歴史をもっている。
日光は寺とお宮が混然としている感じがするのは私だけではないと思うが、これは「二社一寺」に分離したのが明治元年の神仏分離令以後であることによる。それ以前は山内の仏堂、神社、霊廟等をすべて含めて「日光山」あるいは「日光三所権現」と称し、神仏習合の信仰が行われていたのである。
『神仏分離令』とは、明治政府が神道国教化策として、それまで一体だった神社と寺院の内、神社・神道を宗教として扱わないで国家神道として特別に保護し、天皇崇拝、国家思想統一のために天皇の神聖化をはかったものである。
神仏分離後は、神社か寺院かで待遇に大きな差があり、全国的にも多くの寺院や仏像が破壊された。もし日光東照宮が寺院だったら、これほど篤い保護を受けることもなく、美しい建築物が現在のような形で残されていたかも疑わしい。
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【6月7日(日)のウォーキング実績】
1.今日の歩数(距離):15405歩 (≒12.3km)
2.6月の総距離: 82km(1日平均=11.7km/日)
3.6月の今日までの順位: 74 番目*
(*印は「仮想・日本一周歩こうかい」の仲間内での順位)
4.現在位置:2周目の群馬県を南下中【舘林→桐生】の間
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